
耳が肥えることは、幸せ?
音楽を聴くとき、人によって感じ取れる情報量が違います。
演奏の経験や知識によって耳が肥えると、感じ方や楽しみ方が変わります。
今回は「耳の解像度」について考えてみます。
音楽を聴く耳の「解像度」とは?
解像度とは、写真や動画の精細さのことです。
4Kとか8Kとか、解像度が高いと鮮明です。
この「解像度」という概念が、写真・動画以外の分野でも使われることが多くなってきました。
たとえば、料理。
美食家は、舌の解像度が高いので料理の味を細かく分析できます。
素材の産地や火入れの具合、塩分のバランス、香りの立ち方、余韻まで、実に繊細に感じ取ります。
そのぶん「本当に美味しいもの」へのこだわりが強くなり、満足するには高い水準が必要になります。
一方で、私の舌の解像度は、多分、かなり低いです。
「マクドナルド、うまい!」
「吉野家、うまい!」
「くら寿司、うまい!」
多くのものを美味しいと感じることができて、これはこれで幸せな味覚だと思っています。
音楽も同じです。
音程のズレ
リズムのわずかなヨレ
アーティキュレーションの不自然さ
音楽性や美意識の成熟度
「高解像度の耳」で、こういった要素を聴き取れれば、演奏の精度を上げたり、他者の演奏から学ぶのに役立ちます。
しかし、この「高解像度」がいつも良いとは限りません。
解像度が高い耳が抱えるジレンマ
高解像度の耳は、音楽の繊細さや奥深さを味わえますが、「限定される不自由さ」も抱えています。
また料理の例で考えてみます。
美食家はこだわりが強すぎると
「ピザはこの店のナポリ窯で焼いたもの以外、ピザとは認めない」
「豆腐はあの老舗のもの以外は食べない」
みたいなことを言い出しかねません。
その食生活は深くて豊かですが
食事のたびに予約が必要だったり、たまたま気軽に出された料理を楽しめなかったり、どこか不自由で大変そうな姿にも映ります。
音楽でも同じことが起こります。
高解像度の耳を持つ人は、音質や演奏のクオリティにこだわりすぎて、気軽に音楽を楽しめなくなることがあります。
「この録音の音質が悪いから聴けない」
「この曲は〇〇年のバージョンじゃないと好きになれない」と、
楽しみが「限定」されてしまうのです。
音楽のことはよくわからない、の素晴らしさ
では、私たちが最も純粋に音楽を楽しんでいたのは、いつだったでしょうか。
個人的には、それは子どもの頃にテレビから流れるアニメの主題歌を、ただ大声で一緒に歌っていたときかもしれません。
そこには分析も評価もありません。
ただ、根源的な喜びだけがあって、夢中で口ずさんでいました。
「音楽のことは、よくわからない」
それで良かった。
音楽が“わかる”ことで得る感動も確かにありますが、
“わからないまま楽しむ”という力は、実はもっと貴重で、失いやすいものなのかもしれません。
私はほぼ50歳ですが、あの頃の耳をもう一度持てたなら音楽はどれほど楽しく、自由なものに感じられるだろうか、と思うことがあります。
レッスン現場での気づき:解像度を下げる有用さ
私のドラムレッスンでは高度な技術を求める生徒さんには「解像度の高い耳」を使い、厳格な指導も行います。
その一方で、楽器に初めて触れるお子さんや、ご高齢の方、障害をもつ方もいらっしゃいます。
このような方々の演奏に「解像度の高い耳」を向ければ、正直、たくさんの“粗”が見つかります。
でも、それらをすべて修正しようとすることが、必ずしも正しいわけではありません。
それよりも
・「音楽に合わせて演奏するのは楽しいな」と思えること
・少しずつ上達していくプロセス
・音楽を通じて人とつながること
・自分の表現を受け入れてもらえる感覚
こうしたことの方が、その人の幸せにつながります。
もしここで私が「解像度の高い耳」を使って
細かな粗を一つ一つ指摘すれば、彼らの心は折れ、ドラムの楽しさそのものを失ってしまうでしょう。
だから私は、レッスンでは意識的に耳の解像度を下げます。
演奏の細かな粗を一時的に保留して
良いところに目を向け
彼らの幸せに、今もっとも寄与する「楽しさ」や「自己肯定感」を育むことを優先しています。
解像度を上げる・下げるは、調節できる
ここまでお話ししてきたことは、「肥えた耳や専門性を捨てるべきだ」ということでは、決してありません。
ここで一つの提案ですが
音楽耳の解像度を、上げ下げできたらどうでしょうか?
まるで顕微鏡のズームを調整するように。
高解像度で
音楽の深みを味わったり、分析や研究する
低解像度で
純粋な喜びのために、音楽全体を、その場の空気ごと味わう
この“調節の自由”こそが、音楽との付き合い方を柔らかくし、音楽を長く、優しく、楽しく続けていくためのポイントになるのではないでしょうか。
おわりに
高解像度にこだわりすぎると、音楽の楽しみ方は「限定」されていきます。
「この演奏じゃないと」と、自分を縛る方向に働くからです。
一方、低解像度を許容できれば、音楽は「開放」的になり、楽しめる場面が多くなります。
高解像度 = 限定
低解像度 = 開放
「マクドもこれはこれで、うまい!」
って、笑いながら食べる美食家をカッコいいなと思います。