うまくならんといかんのか?論
趣味で楽器を演奏する、習うにあたって
演奏技術が上達することは大きな目標であり、わかりやすい成果です。
ところが、演奏が上手か?上手でないか?
といったジャッジに固執するあまり、楽しいはずの趣味に苦しんだり
「上手⇔下手」という1つの評価軸しかもたないために
音楽を深く味わう力が貧困になってしまうこともあるのかな、と感じます。
「趣味なんだから自分のペースで」
そうわかっているはずなのに、対バンが上手で引け目を感じる。
自分より後に楽器を始めた人が上達してくると焦る。
上手下手のジャッジをしてしまうことによるものだと考えます。
これは私自身が過去に陥っていた貧困、苦しみです。
この記事では
「楽器をやるなら上手くならんといかんのか?論」について。私なりに書いてみたいと思います。
さまざまな評価軸
自身の演奏や活動を評価するにあたり、大きく3つの観点があると考えます。
1 技術・学びの習熟
2 人とのつながり
3 健康促進・ストレス軽減
そしてこの記事の最後には「そもそも評価をしない」提案もしてみたいと考えています。
1 技術・学びの習熟度の評価
・演奏技術の高さはどれくらいか?
・音楽の知識はどれくらいか?
・自己成長ができているか?
・創造性を発揮して表現できているか?
・演奏技術を磨くことで喜びを得られているか?
など
2 人とのつながりの評価
・音楽を通じて何人との出会いがあったか?
・他者との連帯感を感じられたか?
・いいね、フォローは得られたか?
・演奏によって他者を幸せにできたか?
など
3 健康促進・ストレス軽減の評価
・演奏が運動不足の解消に役立ったか?
・子供の成長に寄与したか?
・認知症の予防に寄与したか?
・演奏することで爽快感、満足感を感じられたか?
・演奏中に日々の喧騒を忘れることができたか?
など
このように楽器の趣味を生活に役立てたり
小さくても社会に貢献する観点まで含めれば、上手下手だけではない、たくさんの評価軸がまだまだ考えられそうです。
ジョギングのように楽器に取り組む
たとえばジョギングや登山のように、楽器に取り組んでみるのはどうでしょうか。
大きな公園やジョギングコースでは、多くの人が各々のペースでジョギングやウォーキングしています。
また。自分の年齢や体力に合わせて登山コースを歩く人もいます。
速いタイムを追及したり、厳しいチャレンジを楽しむ人がいる一方で
「ただのんびり走るだけで気持ちいいな」
「今日は太陽の光があったかいな」
「秋の風が心地いいな」
こういった楽しみ方でジョギングや登山に取り組む人も多いです。
楽器演奏の趣味も
好きな曲に自分の音を重ねて没頭したり
少しだけ新しい方法にチャレンジしたり
人に迷惑をかけずにジョギングのように楽しむことはできないでしょうか。
自分のペースで取り組めて楽しいと思えるほか、
40代50代以降では
自分の身体の使い方、衰え方とうまく付き合うヒントになるような趣味をもつことは充実した生活にもつながります。
多くの人がスポーツ・運動を楽しむように
上手下手や他人との比較に囚われずに楽器演奏に取り組むことは十分に可能だと考えます。
上手くなれ、上手くなるべき、の押し付け
私自身、過去には演奏技術の優劣ばかりをジャッジしていたせいで
自分だけでなく他者にまで不寛容であったり、音楽を深く味わう力が貧困だったと思います。
今の私は、音楽を豊かな生活に役立てることに重きをおいていて
上手下手の1軸ではなく、多軸でみることができるようになってきました。
思い返せば
自分がドラムで初めて1曲を叩けるようになったとき、楽しくてそればかりを何度も叩いていました。
その演奏はきっと下手だっただろうけど、そのときの自分は心いっぱいに演奏を楽しんでいたと思います。
「ずっとそのまんまでもいいんじゃないか?」とも思います。
上手くなりたい人はなればいいのですが
楽に上達できる方法はないので、多くの時間と労力をかけることになります。
「そこまでして。。。」という方は
強制的に「上手くなれ」「上手くなるべき」と押し付けられることはなく
上手でないことを引け目に感じることもなく、自分の楽しみ方でいいはずです。
人に迷惑をかけないでいろんな楽しみ方があることを理解・許容し
対バンの演奏技術とか、タイムラインに流れてくる上達法に、そこまで敏感になる必要はないのかもしれません。
ジャッジ・評価をしない練習
最後に私の個人的な空想の話になりますが、自分で練習していることを書いてみたいと思います。
それは、音楽にジャッジ・評価をしないことです。
(自分のも他人のも)
「良い・悪い」という概念をはじめから無かったものにしてみる。
地球上に「良い・悪い」という言葉はないものとする。
焚火で燃えている炎をぼーっと見るみたいに、音楽をただ眺めてみる。
焚火を見ていると、心が落ち着いて研ぎ澄まされます。
焚火が始まると人が集まるし、素直なコミュニケーションもしやすくなります。
音楽と焚火って、通じるところがあるように思いませんか?
「良い・悪いのジャッジをしないだなんて、そんなことが可能なのか?」
と笑われそうですが、おそらく無理です。
しかし私の場合はこのような練習を始めてから
以前までの不寛容さがなくなってきて、結果的には音楽をより楽しめるようになってきています。
また、良い・悪いのジャッジをなくそうとしたときに
「快・不快」はなくすことができないことに気づきます。
これは赤ちゃんと同じです。
赤ちゃんはパパママとか、社会のニュースをジャッジしませんが
お腹がへった
おむつが濡れた
抱っこされて気持ちいい
「良い・悪い」は存在しないで、「快・不快」が存在するのが赤ちゃんです。
私の50代からの練習は
上手くなるのはおいておいて、赤ちゃんを目指す。
というものです。
以上でこの記事を終わりにしたいと思います。
演奏に悩む方にとって現状を打破するヒントになりましたら幸いです。