ネザードラム

文章と図解でアプローチするドラムブログ

ステージ本番では無意識をじゃまするな

 

 

ステージ本番では無意識をじゃまするな

たとえばドラムを練習しているとき、

ふと気づくと ”無意識” に叩いていたことはないでしょうか?

 

ドラムを始めたばかりの頃は8ビートのリズムを叩くだけでも大変だったかもしれませんが

上達するにしたがって無意識でリズムを刻んでいることが増えてくると思います。

無意識に演奏することは良いことでしょうか?悪いことでしょうか?

この記事で考えてみたいと思います。

無意識、フロー、ハイパフォーマンス

無意識にまかせてうまく演奏できているとき、

脳はフロー状態になっていて、良いパフォーマンスが出ていることがあります。

フロー状態

フローとはハンガリーの心理学者チクセントミハイによって取り上げられた概念で

・今この瞬間に集中し、それが連続され、リラックスもしている

・時間の感覚が歪む (時間が速く過ぎるように感じる)

・自分がやっていることそのものが喜び、報酬となる

・没入して自分の存在、自我がなくなる

楽器演奏にかぎらずゲームやスポーツ、生活のなかにも私たちはフロー状態を体験します。

無意識が思う存分に能力を発揮している状態ともいえそうです。

意識が介入するデメリット

ここで無意識のジャマをしてくるのが、意識です。

では無意識に意識が介入するとどうでしょうか。

意識は物事を考えたり注意を向けたりするマネージャーのようなはたらきをします。

 

無意識がやっていることに意識が介入すると、指示待ちのような状態、

あるいは

たくさんのアプリを立ち上げてカクカクしているスマホ、といった感じで

意識や思考が挟まることで最高のパフォーマンスには劣ってしまうイメージです。

 

たとえば「手をどうやって上げるか?」

みたいなことを意識し始めると普段の調子が出なくなって、無意識のスムーズなはたらきを阻害することになります。

 

意識はすぐに介入してきて検閲官のように自分を監視したり、ミスを責めてきます。

「自分」でありながら、嫌な言葉で話しかけてくるもう1人の自分、といっていいかもしれません。

目の前の出来事に集中できて、その瞬間が連続していれば意識は介入してきません。

意識が介入するメリット

しかし場合によっては、意識は適切に介入して修正もします。

 

たとえば

・曲の間違えやすい部分で注意を促す

・新しい動きに慣れる練習をする

・演奏を改善するためのアイデアを試す

 

こういった場面ではとても意識的、思考的です。

トライ&エラーを繰り返しながら

最終的には無意識でもうまくいく状態に近づいていきます。

芸術表現にチャレンジする局面では無意識で臨む

自己の表現を最大限に引き出す場面においては、

それまでにたくさん練習してきたのであれば、無意識にまかせるのが良い戦略になります。

 

無意識でのパフォーマンスは過去の努力の集大成です。

自分の無意識を信頼して、積み重ねてきたことを発揮してもらいます。

無意識を信頼するということは、過去の自分を信頼することです。

 

練習してきたことは本番で勝手に起こりますから

意識して起こそうとする必要はありません。

自分の無意識を育てよう

しかしながらこの戦略を実践するにはある程度の経験が必要で

まだドラム歴が浅く、努力の積み重ねが少ない人は無意識が育っていません。

 

日頃の基礎練習やバンド演奏、ライブステージの場数が、自己の無意識を耕して育てます。

一見、役に立たなさそうな練習とか、

うまくいかなかったライブ経験もその肥料になります。

それなりのフロー状態を目指そう

「そうはいっても自分は初心者だ」

「無意識で演奏できるような経験もない」

「でも明日はライブだし、どうすればいいの?」

ライブ本番、たくさんのことに注意してなるべく体裁の整った演奏を目指す。

というのもアリかもしれませんが

それよりも現時点の実力は実力として、先に述べた無意識=フロー状態

・今この瞬間に集中しリラックスもしている

・時間の感覚が歪む

・自分がやっていること自体が喜び・報酬となる

・自分の存在、自我がなくなる

このような状態を "それなりに" 目指してみるのはいかがでしょうか。

 

実力は実力なので無意識の中で悪いクセは出てしまうかもしれません。練習不足もそのまんま出ます。

しかし

そういう中でも演奏者本人の個性が光るパフォーマンスとか、喜びにつながる部分を見出すことができれば未来につながるので

たとえ経験や練習が不足していても

"それなりに" 無意識をやってみるのは良い試みになると私は思います。

自我がなくなるについて

フローの要素のひとつに「自分の存在、自我がなくなる」といったものがあります。

 

一見スピリチュアルじみた、解釈の難しい言葉ですが

なりの解釈を書いておこうと思います。

 

演奏に集中できていて、かつリラックスもしている、思い通りに体が動いて良いパフォーマンスができている、

これがうまい具合に回っていると音楽との一体感が増してきて

ドラムを叩いている自分を忘れ、

まるで自分が音楽の一部になっているような気分になることがあります。

 

「我は人間ではなくなり、音楽となった」みたいな。

または、自分がライブハウスという「空間の一部」になっているとか。

 

自分という人間を忘れるので

他者からの評価も存在せず、ミスを恐れることなく、それでいて良いパフォーマンスができている。そんな感覚。

スピリチュアルで胡散臭いですが、私はこれを幸せな感覚だと感じています。

 

この記事がなにかのヒントになったりお役に立ちましたら幸いです。